変えられた人

今ここに生きる

私は子どもの頃から、母に連れられて教会の日曜学校に通っておりました。聖書のお話は子どもの頃からよく聞いており、知識としてのキリスト教には親しんでいたわけですが、これが、信仰に結びつき、受洗に至るには、やはり、大きな個人的な試練と目覚めを経ることが必要でした。

一つは、高校三年生の夏に大病(急性肝炎)を患ったことです。死の恐怖、絶望、無力感、人生と死について深く考えました。健康であったときには気付かなかった自分の弱さ、無力さ、罪深さに気が付きました。何か、全てを超越した絶対的な力に依り頼みたいという気持ちが起こりました。このことが、聖書についての単なる知識を信仰に高めてくれました。「神様、助けてください。あなたに一切をお委ね申しあげます。」という心を起こさせてくれました。幸い二ヶ月ほどで病気は直りました。

もう一つの体験は、大学受験の時のことです。私は大学受験直前にひどい風邪をひいて高熱を発しました。しかし、受験日の前日に熱が完全にひき、無事受験し合格することができました。まさに奇跡的なことで、神様の恵みを実感しました。そして、1953年(昭和28年)3月、高校卒業と同時に信仰を告白し、洗礼を受けました。

1957年(昭和32年)3月に大学を卒業し、富士銀行に入行し今日に至っています。就職後もしばらくは教会に行っていましたが、そのうちに教会から足が遠ざかりました。

長い年月がたちました。1983年(昭和58年)の春、私は米国シカゴに本拠を置く商業金融会社「ヘラー社」の買収の仕事で頻繁に米国に出張していました。いろいろと困難な事態が発生し、くじけそうになることもありました。そして、ふと「我に帰る」と、心にポッカリと穴があいたような空しさ、「心の渇き」を覚えました。そのような中で、ある日曜日、私はふと出張先のニューヨークのホテルの近くにあった教会に立ち寄りました。そのニューヨークの教会で、久しぶりに静かに祈っているうちに、心に平安が戻り、新しい力が湧いてきました。神様から遠ざかり、放蕩三昧に明け暮れていた私を、神様は赦し、再び温かく、その家に迎え入れてくださったのだと感じました。神ご自身が私を連れ戻してくださったのだと思います。

私たちはそれぞれの人生を生きていく中で様々な困難や試練に遭遇します。そして、一所懸命努力します。しかし、どう努力しても、どうもがいても、どうにもならないというようなことがよくあります。

私たちは、自己中心的で、自分の幸福のために祈ることが多いと思いますが結果については一切を神様の御心にお委ね申しあげるべきだと思います。

私は、仕事柄、飛行機に乗って出張することが多いのですが、時折、飛行機が乱気流に巻き込まれてグラグラと大きく揺れ、今にも墜落するのではないかと不安になることがあります。そのような時、「神様どうか、御心ならばこの飛行機が無事に目的地に到着いたしますようにお守りください。しかし、一切をあなたの御手にお委ね申しあげます。あなたの御心が行われますように。」と祈ることにしております。そのように祈ると、不思議に心が安らぎます。

そもそも、私たちは自らの意思でこの世に生まれて来たわけではなく、神様の御心によって生まれて来たのだと信じます。神が天地を創造され、人間を創造されたのです。ところが、その人間(アダムとエバ)は、神の掟に背いて禁断の木の実を食べ、エデンの園から追放されてしまいました. そこから人間の悲劇が始まりました。「神に背くこと」「神に不従順であること」これが罪です。人は皆、この罪を背負って生まれてくるのです。私たちは、皆「罪人」です。しかし、私たちは、通常その罪を自覚していません。「私は人の物を盗んだこともないし、人を殺したこともない。従って罪人ではない。」と思いがちです。しかし、たとえ行動において罪を犯していなくても、心の中で罪を犯していれば、神の裁きを免れることはできないのです。そして自分の心の中を覗いてみますと、いかに罪深い存在であるかがわかります。これはまさに、絶望的です。

それでは、どうしたら罪から救済されるのでしょうか。12月25日は、世界中で、人類「罪」から救った、このイエス・キリストの降誕を祝うクリスマスです。自分の力では罪から脱出できない私たち人間を、あわれみ給うた神は、独り子イエスを私たちの救い主としてこの世に遣わされ、私たちの罪を贖うために十字架につけられたのです。

私たちは、たしかに今ここに、こうして生きております。しかしながら、この肉体はいつかは滅びます。肉体が滅んでも、決して滅びることのない永遠の命を得るためには、神の独り子イエス・キリストを信じる他はないのです。今ここに生き、そして永遠に生きるために、キリスト・イエスを信じ、神とキリスト・イエスに一切をお委ね申しあげようではありませんか。

ご自分の人生について考えてみてください。あなたの人生はどのような感じでしょうか。満ち足りている。忙しい。楽しい。ストレスが多い。前向き。後ろ向き。だれもが、ときには、このような人生をすべて経験していると思います。いつかはやってみたいと夢見ていること、忘れたいと思っていることなど、いろいろあります。聖書には、イエス様はすべてを新しくするために来られたとあります。すべてを白紙に戻してやり直すことができたら、あなたの人生はどのよう見えると思いますか?


希望をもって生きる

もし平安を望んでいるなら、あなたの人生を清算する方法が一つあります。完ぺきな人はいませんし、完ぺきな人生というものもありません。しかし、私たち一人一人が、神の御子、イエス・キリストを通し、神様との個人的な関係を持つことによって、完全なる恵みを経験することができるのです.

祈りを通し信仰をもって、今すぐキリストを受け入れてください。祈りというのは、神様とありのままにお話するということです。神様はあなたの心のうちを知っておられるので、あなたが話す言葉よりも、あなたの心の態度に関心を持たれています。どうぞ以下のお祈りを参考にして下さい:

主なるイエス様、あなたのことを個人的に知りたいのです。私の罪のために十字架の上で死んでくださったことを感謝します。私の人生のドアを開け、私の救い主としてお迎えします。どうか私の人生をご支配下さい。私の罪を赦し、永遠の命をくださったことを感謝します。あなたが望むような者に私を変えてください.

この祈りは、あなたの心からの願いでしょうか。今この場で祈ってみてください。イエス様はお約束どおり、あなたの人生を導いてくださいます. 


これはあなたが望んでいる人生ですか?

キリストをあなたの人生にお迎えしたら、神様が共におられ、あなたのもとを決して離れないこと、あなたに永遠の命が与えられたことを覚えて、いつも神様に感謝してください。あなたと神様との関係、そして神様がどんなにあなたを愛しておられるかを知れば知るほど、最高に満ち足りた人生を送ることができるようになります.

                                         

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